われはロボット
I, Robot
現実は物語ではない.
人はなぜ現実を「物語」にしたがるのか.現実を「ドラマチックだ」等と形容したがるのか.
物語と言うのは,ある事実の連鎖をして,人が獲得した前頭前野と言う物がその因果関係を推測した物である.それが例えば自然科学であれば,その正しさは反証可能性によって担保される.
しかし,人が現実に体験する人生の出来事は,無数の要素の無数の絡み合いによって起こる.その因果関係を人が把握するのは不可能だ.だからそれを物語化し,その物語に心のよりどころを仮託する.
つまりそれが信仰と言う物だ.
かわいそうなロボ - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com
感想を一言で言わせて頂くなら,「誰かを悪者にせんとお話を作れんのか」だ.
悪者とは,地方交付税交付金を減らした奴,そしてそいつの手先としての油圧ショベル.
否,良くできた話だとは思うし,BI@Kさんのことは尊敬しているからケンカを売りたくはないし,地方交付税交付金の削減が今の夕張の破綻の原因だと言うのも,BI@Kさんが言うのだから多分そうなのだろう.
しかしそれであれば,そのことを大人向けに論証すべきだ.
おとぎ話でお茶を濁すのは,我々床屋政談ブロガーで充分間に合ってる.専門家がそれをやるのは,原子物理学者が「水からの伝言」を布教する本を書くような物だ.脳生理学者が「ゲーム脳」を支持する本を書くような物だ.
油圧ショベルと言うと,今でも思い出す.廃校になる小学校.老人たちは自分がその学校に通った思い出を話し,その再現ドラマも作られる.そしてラストシーン,その学校が油圧ショベルで現実に壊されて行く.
そう,これっぽい感じ.これ↓は校舎は残っているので油圧ショベルも当然登場しないが.
※ああ,また観て泣いてしまった……
ともかく,このマクセルのCMより若干冷徹な感じのラストで,6歳のリア幼だったわたしは泣いたね.痛いから泣いたとかオカンに怒られたから泣いたとかでなく純粋に悲しいから泣いた記憶としては,最初が5歳の時にドラマ「熱中時代」の最終回を観た時で,2回目がこれだった.3回目は確か7歳で特攻隊のドラマを観た時だったかな.
※えーえー,オレはテレビっ子です.
あの油圧ショベルを観た時は,子供心にあいつが憎かった.だけど今は,「その建物に何の思い入れも無くても,何かしら心に痛痒を感じつつ壊して行く運転手」の姿が心に浮かびます.
そうで無きゃ,其れこそ悪役ロボットになってしまうから.
……あ,その意味で言うと,「可哀想なロボ」って,天空の城ラピュタでは「悪役ロボ」の形容でもあるね.
ともかく,おとぎ話と言うのは,遠い昔の話であるべきだ.少なくとも関係者が存命中なら,それはおとぎ話でなく実録物としていかなる脚色も無く,逆にそれは「○○と言う体験者の主観による」記録だと但し書きがつくべきだ.
グリム童話もアンデルセン童話も,当時の地域間の対立とかが根底にあるようだが,日本でこどもたちに語り聞かせる際はそれは一切伏せられているし,多分地元でもそれは「昔はそう言うこともあったが,今は友好的だから大丈夫だよ」と言う但し書きがつけられるに違いない.
しかしこれらの童話は,関係者が存命中の頃は,むしろナショナリズム高揚と,地域間抗争の勝利に向けた士気高揚の意味づけがあったに違いないのである.生々しい利害関係がコンテンポラリーに存在する事物を扱う物語は,そう言う定向進化を辿ってしまうのである.
ベトナム反戦運動期に反戦サヨクが書いた膨大な童話を読むが良い.ベトコンを美化した記述は,ベトナム戦争終結からドイモイまでの間,共産党政権に苦しめられた国民の眼にどう映るだろう? 米兵を悪魔の化身のように描いた記述は,徴兵に応じたに過ぎないアメリカの帰還兵にどう受け止められるだろう?


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